スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

吉宏考察

記憶の石
昼に頭に浮かんだお話を一つ。
以下、ゾアラの主人公、吉宏の考察です。

『ゾアラ』の主人公は私からすればゾアラ>チカ>吉宏である。
今回は第三主人公である吉宏の生い立ちについて色々考えてみる。
まず、吉宏はダメ人間である。まごうことなき、ダメ人間だ。
単位や、就職などのキーワードが出ていることから彼は大学生だろう。
チカと同棲していることから、家族はいないらしい。下宿か、両親がすでに死んでいるか、海外へ行っているのだろう。
後ろ二つはなんともアレな設定だが。
両親が死んでいるならもっと自立し、自活できる人間になるか、いまよりひどい底なしのダメ人間になるかのどちらかだ。
となると、両親が死んでいるとは考えにくい。下宿か海外にいるのだろう。
さて次に吉宏の生活関して疑問が浮かぶというなら、バイトはしているのか?ということだ。
下宿となれば、両親がよほど裕福でぬるくないかぎり、バイトをしていると考えていい。
海外にいるならば、かなり恵まれているとみてて、バイトをする必要も無く、パソコンやネット環境、その他もろもろは揃うだろう。
現実的に言うなら前者だ。
私はここで吉宏は下宿をし、仕送りを貰いつつ、バイトをして大学へ通っていると仮定する。
さて、全てのダメ人間にはダメ人間たる由縁があると私は考えているが、
吉宏がああなったのは恐らく生まれ育った武本家が原因だろう。
何故武本家なのか、理由を話す前にp13~15までの吉宏の礼拝とp21bのページを見てもらいたい。
ここで吉宏は自らの幸福を、神に感謝している。
確かに、人間は極端な喜びの感情が発生すると喜びの余り自己を見失い、何か超越的存在に意思を向けてしまうことがある。
しかし、p13でアーメンと連呼し、しかも、P14ではそれを礼拝とまでいっている。
普通、神に感謝するなら、礼拝などといわず「喜びを表現していた」と言うだろう。
つまり、吉宏は幼少のころからそのような教育がなされていたと考えられる。神を信じる家庭で育ったのだろう。
そして、p21bの台詞と木魚である。成長した彼は、自らの自意識を親から与えられた神の概念とは異なる、
新しい神の思想と結び付けようとしているのではないか、と私は考えている。([アーメン+木魚]=[キリスト+ブッダ])
親の信仰とは別に、自らの内なる神を生み出すため、既存の神を信仰している状況だと、私は考える。
親の信仰を鵜呑みにするなら、彼の神は一柱か一形態しかいないだろうと予測できるからだ。
このような複雑な背景があれば、彼の精神が一般人とは大きく離れ、少々間違った発育をしてもおかしくは無い。
チカを拾ったのも、多分自らの徳を高めるためだろう。紳士としての行動というわけではないはずだ。
ゾアラは自らを神格化しているが、上記のことを踏まえると吉宏は惹かれるべくしてゾアラに惹かれたのかもしれない。
しかし、ゾアラが潔癖であるのに関わらず吉宏は俗物どまりである。多分そこがダメ吉宏たる由縁だろう。

大学では恐らく、オタク系のサークルに入っていると考えられる。
チカとの会話を見る限り社交性はあるし、ネタを多く知っている。
ただマーガレットやTCGというネット界の場末(失礼)イベントをチェックしていることから
「何かちょっと違うな・・・」とサークル内での活動を疑問視しているかもしれない。これは割と偏見。

こんなところぐらいか。何か新しく気づいたら追記します。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。